インディアンサマー

人生の小春日和日記

新大陸の発見について

11/24


 第19回文学フリマに参加してきました。ブースにお越しくださった皆様どうもありがとうございました。新刊の委託や他イベントへの出展を計画しておりますので、詳細はこちらをご参照ください。


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(※なぜか半袖になっているHさん)









 ここ数回で文学フリマの短歌ジャンルの光景は激変したなあと感じていて、それはざっくり言うと大学のサークルとその派生サークルが激増したことと、それと入れ違いにどこの馬の骨ともつかないインターネットのポエマーみたいなサークルが減少していったということだ。ふと思い立って第8~12回あたりの文フリのカタログをぱらぱらと見ていたのだけれど、いま現在文フリの短歌ジャンルの多くを占める勢力の初出はおそらく第12回あたりで、それ以前からネットやサブカルチャーに親和性の高い歌人がブースを出していたりはするものの、大勢を占めているのはネットの個人、あるいは少数名のサークルばかりであった。ジャンルの規模も今よりはだいぶ小さい。
 変化はそれ自体良いことでも悪いことでもない。背景を考察すればそれなりに面白いだろうし、文フリを退場していった人々がどこに発表の場を求めて行ったのか、あるいは行かなかったのかということにも興味があるが、とりあえず数年前には今とは全く違った風景がそこにはあったのだということは記念しておくべきだろう。
 かつてそこにあったのは、孤立するアマチュアリズムの見本市とでもいうような光景だった。そこに既知は少なく、有象無象の質の低いがらくたの中にこれはというものを見つけ出すような発見の場であった。文フリに限らず、同人誌即売会の愉しみというのはそういうところにもあるように思う。
 未知の価値は既知の価値によって押し出され、「場」としての文フリは変容した。そういう言い方もできるかもしれない。今の短歌ジャンルで行われていることは、既知の関係性の補強であって、一見盛況であるその光景から、何か新しい、何か知らないものに出会えるだろうかという期待値は年々薄まってきているように感じる。
 繰り返しになるが、それが決して悪いことだというわけではない。ただ今はこうで、でも過去はそうではなかったのだという話でしかない。未知の価値も既知の価値もそれぞれ愉しみとして違いは無いのである。しかしそれは、どこかに誰かが書き留めておかなければ、そのまま誰にも想起されないところまで塗りつぶされてしまう過去なのかもしれないし、取り敢えずどこかに書き記しておきたいと思ったのである。