インディアンサマー

人生の小春日和日記

東京がコメダに汚染されていくのを何もできずただじっと見ているしかない

2014.5.15


天皇制という制度の本質が「えらい/えらくない」にあるかどうかはさておき、「天皇ってそんなに偉いわけ?」というフレーズにはどうしようもないブルーズというか、この世の底からの怨讐みたいな凄味を感じざるを得ないように思う。


この日はあまりちゃんと勉強できなかった。「海岸幼稚園」の帯の追加分を手配。




2014.5.16


Rさんの【日記】無能なぼくの、就活戦略。|冷凍芋虫|noteがすごかった。


僕が中学生や高校生だった頃って本当にバカで周りが何を見て何を考えてるかとか全然考えてなかったし、自分が無能であるというを持つなんてこともできてなかったと思う。だからRさんはすごい。そのぐらいの頃から自分の人生について具体的な戦略を立てていた人たちに何も考えないで生きてきた僕みたいな人がそりゃ勝てないよなあとか思ったりした。
やっぱり少しでも早いうちにこういう発想に至るためには、本人の素質が第一だろうけど、育ってきた環境がものをいうところが多いのだろうなあ。環境に文句を言っても仕方ないし言わないけれど。


というかこういう人生の方法論をここまで強く自覚しているかいないかは別にしても、わかっていて実践している人はかなりたくさんいて(そうでなかったら文学部の倍率はもっと高いし理工学部の倍率は逆にもっと低い)、でもそういうことをみんな敢えて語りたがらないのだと思う。こういうことが語られない理由としては、まずメリットが無くて、メリットが無いことを彼らは敢えてしないのだろう。それと彼らにとっては当たり前のこと過ぎて、語る意味が見いだせないのかもしれない。
でもそういう「生存のための具体的で合理的な方法論」って、それ自体が人が生きるということに深く直結していることだし、それを実践してきたことにRさんがおそらく感じている漠然とした虚しさとかは、全く正統な文学の出発点なんだろうと思う。まず生存に最善を尽くすことが前提で、そこを疎かにして成立する価値なんてものは所謂チキンレース的なものでしかないのだろう。インターネットメンヘラ界隈とかそういう。


他にもいろいろ思うことはあるのだけれど、とにかく僕はいままで目先のその場しのぎだけで生きてきて結果現在失業しているわけで、無計画に生きてきた分のツケを支払うべく頑張るしかないよなあと思う。幸いまだ返済できなくもない、と思っている。
そもそもそんなに若いうちから人生に諦観しないと生きていけない世の中がクソ、っていうのが全く正しいのだけれど、クソにクソだと言っても依然クソはクソのまままので仕方ない。




2014.5.17


予備校に行って明日ある国立大職員の試験の予想問題集を解く。合格ラインにはあと1割~5分くらい足りない印象。




2014.5.18


試験は予想外に簡単で、たぶん簡単すぎて理数系の問題以外では差がつかないやつだろうと思った。せめて古文で難しい問題を出してほしかった。


某国立大のキャンパスは広くて欝蒼としていて綺麗だった。
家に帰ってお昼寝したら夜遅くまで寝てしまった。




2014.5.19


午前中は職安。失業認定日で、晴れて失業者として認定された次第。職安では大したこともしないのになぜかすごく疲れる。家に帰ってぼーっとしていたらいつのまにか夕方で、その後の予定がめちゃくちゃタイトになってしまった。


池袋の某書店で所用を済ませて、そのあとダッシュで閉店間際のタコシェさんに行って「海岸幼稚園」の新しい帯を巻いてきた。冷静に考えたらこの順番は逆でも全然問題なかった。無駄に走った。
あとネットプリントのやり方がわからなくて全然うまくいかない。

「私」が過剰包装されている逆方向のあかるい電車